安全な人→人づてカミングアウト

安全な人→人づてカミングアウト

Share:


written by すばる


カミングアウトは誰もが怖いもの。
それまで築いてきた社会的地位や、家族という最後の居場所さえ失うかもしれない。
残念ながらどれだけ性的少数者の存在が世に知れ渡ろうと、その危惧は拭い去れません。

それでも私が女性としての社会的性の獲得へ踏み切れたのは、同年代の当事者たちと出会えたことがきっかけでした。

【私のカミングアウトへのきっかけ】

当時大学3年の3月で、すでに就職活動が始まっていました。
まだその頃もどの会社も男性は営業職、事務職は女性の仕事と言う性別役割分業の風潮が強く残っていました。
事務職志望の私としては、男性として社会に出ることは厳しいなと改めて感じていました。

そんな中でたまたま近くで行われていたGID学会の全国交流会に参加し、衝撃的な出会いを果たします。

前述の通りですが、大学生くらいの年代でも自分の望む性で実生活を送っている人が何人か来ていました。
まだ学祭で女装してみせるくらいしかできなかった私にとって、その人達は本当にキラキラ輝いて見えました。
やっぱり自分の思うように生きるということは、毎日幸せに生きられることなのだと身に沁みて感じられました。

私はその同年代の参加者たちに「絶対できる」と励まされたことをきっかけに、その翌日より全方位に一斉にカミングアウトを果たしました。

【カミングアウトの作戦と布石】

ここで冒頭とは矛盾することを言うようですが、実のところ私はカミングアウトはうまくいくと確信めいた予感がありました。

まずは当時参加していたインカレ団体で話しました。ここは私にとって最も「ここでなら話しても大丈夫」だと思える組織でした。なぜかと言うと、大学で私が専攻していた環境問題をとりわけ強い意識を持って取り組んでいる人たちの集まりだったから。地球規模としての利益を考えてくれる、すなわち人のために動ける人たちだと考えていたからです。

次に最大の壁となる家族ですが、これもそこまで心配していませんでした。
まず母親は大の金八先生ファンで、もちろん性同一性障害が大きな話の軸にある第6シリーズも録画して繰り返し見ていました。
それ以前にも図書館で借りた性同一性障害の本をわざとリビングに放置して、「これ読んでいい?」と関心のありそうな態度を引き出すことにも成功していました。

そして父親ですが、実は当事者がテレビに出ていた時に「女として生きたいと思ってるなら、言ってくれていいから」と、私に言ったことがあったのです。
なんでバレてるんだと戦々恐々としてその時は言い出せなかったのですが、父親も別に私が言い出せない当事者だと確信して言っていたわけではなく、ただ自分なりの態度表明であったようです。
何の確信もないのにこんな発言できるってすごくないですかね。カミングアウト後も「自分が好きに生きてきたから子供にも好きに生きてもらいたい」と、全面受容の態度を表されました。
本当に父親には恵まれたものです。

最後に大学ですが、これは完全にたまたまだったのですがちょうど先輩が卒業してサークルも引退、卒論と就活に専念するという時期だったので、カミングアウトすべき対象がすでに限られていました。
それでもどうしても関わらざるを得ない学科内などは自分の力で乗り越えるしかありませんでしたが。

【カミングアウト伝播作戦】

とは言えすべてを失う覚悟で行われるカミングアウト。そう何度もしたいものではありません。

そこで私はカミングアウト成功した人に対し「他の人にも言っといて」とお願いすることにしました。
これにより、

  • 直接的な罵倒を浴びることはない
  • それでも関係性を続けたいと思ってくれた人は向こうから連絡してくれる
  • 拒否的な反応があった場合、“誰が何を言っていたか”を直接対峙する前に知ることができる

という安全な位置から安全な人の見極めが可能になります。

⊂∞⊃ まとめ ⊂∞⊃
カミングアウトからすでに11年が経ちます。
その間、就職面接以外では拒否的な反応をされたことは一度もありません。
二十歳以前の自分に会えるなら、「意外とできるもんだぞ」と言ってやりたいところです。
▽「この人なら絶対大丈夫」という人からカミングアウトしましょう
▽ カミングアウトがうまくいくかどうか布石を打って確認することができます
▽カミングアウト成功した人から周辺の人へ伝播してもらうと負担が少なくなります

コメント欄を読み込み中

体験談一覧ページ