臆病な僕のカミングアウト

臆病な僕のカミングアウト

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written by WESTY


私が自分が性同一性障害の当事者かもしれない、性同一性障害の治療(身体的治療)を受けたいと心に決めたのは、19歳のとき。東京で1人暮らしをしていた。自分のなかでは、自分は性同一性障害なんだってほぼ確信していたけれど、それを誰かに話すことはなかなかできなかった。当時、性同一性障害という言葉を知っている人、それがどういうものかとわかっている人なんてのは、ほとんどいなかった。
カミングアウトして、今までの人間関係を失うのがひどくこわかったし、偏見や侮蔑の目線で見られる不安があった。今まで自分を『女性』と思って接してくれていた人をこれまで騙していたような後ろめたさもあった。誰か特定の人にカミングアウトして、自分が抱えている秘密の共犯者にしてしまうことを申し訳なくも思った。

だから、はじめてのカミングアウトを誰かの目の前で口頭で行うことはできなかった。最大限の勇気を絞り出してできたのは、当時流行っていた、mixiというソーシャルネットワーキングサービスの日記に、自分の性別違和感を遠回しに書き連ねることだけだった。

今思えば、突然そういう日記を読まされた友人たちも戸惑っただろうと思う。でも、私の友人たちは、あたたかなコメントをくれた。それに勇気をもらって、またひとつ、またひとつ、日記に自分の気持ちを書けるようになっていった。

そして20歳になる誕生日の数日前、自分が性同一性障害だと思うことを、はじめて明確に書くことができた。20歳になれば親の同意がなくとも性同一性障害の身体的治療ができるようになること、それをきっかけに精神科を受診して診断を受けようと思っていることも書いた。
私は、何度も何度も友人たちの顔色や反応をうかがうように日記でのカミングアウトを重ねていた。それなのに、書いた日記を公開するためのボタンをなかなか押せなかった。
おそろしかったのだ。今までの女性として生きてきた自分を忌避しているのに、それを変えたいと思っているのに、今までの自分の立ち位置や人間関係が崩れてしまうことが、途方もなくこわかった。誰かに強い非難を向けられたらくじけて壊れてしまいそうなほど、私の心はもろく、敏感だった。
自分は男だと言いながら、自分の外見も体の特徴もどう見ても女性だという事実が、さらに自分を臆病にさせた。誰もこんなことを信じてくれないんじゃないか、とさえ思った。

20歳の誕生日の前日。性別移行をすると決断し、女性として生きていた自分とのつながりを少しでも断ち切るために辞めたバイト先の女友達たちが、誕生日カウントダウンパーティーを開いてくれることになった。友人たちはみな、mixiで自分の日記を読んでいる。誰も否定的なコメントはしていない。それの上で誕生日を祝ってくれるのだから、友人たちのことを信じればいいのに、不安とこわさが渦を巻いて、朝から落ち着かなかった。
(友だちは、僕が普通と違うって、きっとわかってる……)

夕方。会場となる友人の家の近く。約束の数分前。髪の毛をばっさり切って、少し男っぽく変わった姿を見られるのが恥ずかしくもあった。カウントダウンパーティーで誕生日を祝ってもらうのは初めてで、嬉しくてワクワクする気持ちもわずかだけどあった。

インターフォンを押すと、友だちが戸を開けて迎えてくれた。笑顔だ。
自分以外はもうみんな集まっていて、好意的な歓声で自分を迎えてくれた。

久しぶりに会って、「カッコよくなった」って言ってくれた。
きっと僕の男の部分を理解しようとしてくれてるんだ、そう思えた。
それが自分に少しの自信を与えてくれた。
(僕はこうやって生きていってもいいんだ)

カミングアウトして、今まで自分が知っていた『普通』とは違う存在になった自分。
それでも以前と変わらない付き合いをしてくれる友だち。
本当にいい友だちを持った。
感動と安堵と、それからなんだかよくわからない感情で、涙がこみあげた。

午前0時。誕生日。20歳になった。
一緒にカウントダウンしてくれた友だち。メールでお祝いしてくれた友だち。電話でお祝いしてくれた友だち。
みんな、本当にありがとう。

カミングアウトしてから、男っぽい格好で出歩くようになってから、偏見や侮蔑の言葉や奇異の目線を投げかけられること、何度もあった。
その度に自信と未来への希望が削り取られるような気もしていた。
だけど、友だちは、カミングアウトしても友だちのままだった。
自分自身はみんなのことを心から信じ切れなかったのに、みんなは自分を受け入れてくれていた。
そんな友だちのおかげで、僕は、僕らしく生きる勇気を持てた。
不安と恐怖のなかにも、希望をもって、性別移行の道に歩み出していくことができたんだ。


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