希望を失わず、生きてこそ

希望を失わず、生きてこそ

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written by 甘利 実乃


私はGID(性同一性障害)としてはとても運が良いと思います。
生まれながらの重い心臓病のため、局所麻酔の手術すら断られ、極めて低い免疫力のために常に死と向き合って生きてきました。自殺など考える必要もありません。
ですから、ほんのささいなことでも私にとっては全てがダイアモンドのような輝きを持った喜びであり、生きる希望でありつつけてきました。

最初から何も「治療」ができないというのも幸せなことです。
そのままの自分をそのままに生きていくことができるからです。

私の体は生まれつき、性の分化がうまくいきませんでしたから、中学生頃になると胸も大きくなっていきました。性器も「男性」とは発達が違います。子どもを作る能力はありません。そして、子どもが100人議論しても私の性別は50%にちょうど別れてしまうほど中性的です。

私が初めて家族の姉以外に告白したのは、私の髪を切ってくれてきたおばさんにでした。告白してから2度目、私は女性の服を着ていきました。
「あー! 分かったわ! あなたは女の子だったのね。この前言われたときは女の子になりたい男の子なのかなあと思ったんだけど、女の子だったね!」
これで私の「トランス」は終わりです。なにも性別移行をした気がしないので、「トランス」という意識もありませんし、化粧も何もしなくてもそのまま女性として普通に生きられます。
何も足さない、何も引かない。こんな幸せなことはありません。「パス」も「リード」も意識にすらないのです。
裁判所も役所も常に親切です。

私の公式な性別は3つあります。
もはや男性の名残があるのはパスポートだけ。しかも、ぱっと写真を見ただけではMだとは誰も思いません。
国民健康保険の性別欄は空白で、これが絶大な力を発揮します。一瞬で医療従事者は全てを察してくれます。
大学や金融口座、日本語教師資格、保育園の先生の資格など、社会的性別は全て女性です。
でも本当は、空欄が一番楽かな。
どちらかを演じ切るのはちょっとしんどい。
だから、どちらかをあえて演じることはあまりありません。

声は日本を代表するボイスケアの先生と深く研究しました。
結論は極めて単純。美声に勝るものはなく、声の高さはほぼ関係ありません。
10年生きてみて、声を褒められた以外、声で性別に関して何か言われたことは、子どもからすら一度もありません。
私は自分の声を愛し、日本語の先生、大学の文学部の先生として、堂々と地声で講義をしており、大量の録音も残して公開しています。

私が現在、勤務しているのは東欧のセルビアです。
恐らくヨーロッパでは最もLGBTQについて厳しい国ですが、就労ビザを出してもらうために、女性のスーツを着て警察署に行っても何も言われません。医療保険への加入もまた然り。
「セルビア人は気にしない」という言葉がありますが、私にとっては、とてもストレスの少ない国です。LGBTQを支援する法律は最も貧弱で、性別変更すらできない国ですが、それは、そんなことをしなくても生きていけるから。
それを私は命を懸けて、セルビアの同類に示してきました。世界中のLGBTQの比率は同じです。多数の学生が私に告白してきてくれ、日本への留学すらしています。

もちろん、未だトランスジェンダーの仕事は極めて限られてはいますが、私が率先して、大学の先生として旗を振って可能性を示しています。そして首相も公然と胸を張って生きるレズビアンです。
恋愛も仕事も自由に生きる。それに勝る幸せがあるでしょうか。

なお、セルビアはSRS(性別適合手術)技術の最先端国です。
男性のSRSの発祥はベオグラード大学医学部だと言われています。今も欧米から毎日多数手術に来ています。日本人も過去に2人受けました。素晴らしい先生方です。

この世は希望であふれています。希望は生きてこそ、叶うのです。


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