家族のカタチ
written by 前田 良
皆さんは、「家族」と聞くと誰を思い浮かべ、どんなカタチを想像しますか?
「お父さん」「お母さん」「兄弟」「血の繋がった人」「友だち」など人それぞれ思うことは違うと思います。
僕は、「家族」とは、自分が思った人たちのことを「家族」と思い、自分でつくりあげていくものだと思っています。なので、僕が思う家族は、妻と2人の子どもたちです。
僕は、女の子としてこの世に誕生しました。幼稚園の頃から違和感を感じていました。小学校では身体の変化に悩み、中学、高校とは制服や「女性」として扱われることに苦痛を感じていました。成人し、カウンセリング、ホルモン療法、手術をし自分が思う性で生きていくことができました。
そして、最愛のパートナーと出会うことができ結婚しました。
国は僕を「男性として生きていい」そして、婚姻届を受理し、「夫婦」になることも認めました。
妻と話し合い僕たちは子どもをつくることにしました。周囲から、「なぜ、子どもをつくるのか」「結婚しているだけで十分じゃないか」など冷たい言葉や視線を浴びせられることもありました。
僕は、子どもがほしいと思う人と同じ気持ちです。
そして、僕たちは第三者から精子をもらい人工授精で子どもを授かることができました。妻のお腹が大きくなるにつれ、「幸せ」や「命の大切さ」を感じました。生きていてよかったと心の底から思いました。
ところが、子どもが生まれ、出生届を市役所に提出すると、「父親の欄に僕の名前があると受理できない」という問題が発生しました。
国は僕を子どもの父親として認めませんでした。なぜ認められないのか!!それは、「血縁関係がないのがあきらからだから認められない」ということでした。僕たちは結婚してから子どもを授かりました。本来なら嫡出子推定が及ぶはずなのに・・・。
生来的男女の夫婦が同じようにAID(非配偶者間人工授精)をしたら、「やったことがわからない」から認められ、僕たちは「やったことがわかる」から認められない。僕は生来的男女の夫婦と同じように扱ってほしかっただけです。
周囲からも「かわいそうな子」「誰の子」などと言われ、幸せの絶頂から一夜にしてどん底に突き落とされ、ここから僕の闘いが始まりました。
戸籍や紙にこだわっているのは国です。上の子は2年間無戸籍でした。裁判をしたのも、もう裁判しか選択肢が残っていなかったからです。上の子は東京で、「戸籍訂正許可申立て」をし、家裁、高裁は「却下」「棄却」でした。2人目も誕生し、下の子大阪で「親子関係確認訴訟」をおこしました。
家裁は「却下」。
そして、上の子に残された最後の道。最高裁。
2013年12月10日付で最高裁は僕を父親として認めるという画期的な決定をだしました。大逆転勝訴しました。
僕は子どもにもすべて話しています。
僕たちも1人の人間です。幸せになること。楽しくること。家族、子どもをもつこと。自由です。周囲とやかく言う権利はありません。1人の人として自分らしく生きることが大切だと思います。
いろんな性、いろんな生き方、いろんな家族のカタチがあります。一人ひとり違って当然です。
最後になりますが、子どもへの向き合い方や詳細など、「パパは女子高生だった」~女の子だったパパが最高裁で逆転勝訴してつかんだ家族のカタチ~をご一読いただければ幸いです。
『パパは女子高生だった』は弊法人HP資料館の書籍紹介のコーナーでも紹介しています。