性別を超えて得られた自分らしさ

性別を超えて得られた自分らしさ

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written by 西野 明樹


私が「性同一性障害」という言葉を初めて知ったのは、18歳、大学1年生の年末のことでした。友だちがTBS『3年B組金八先生』の大ファンと聞き、冬休み中の暇つぶしにDVDをレンタルしたのです。私が訪れたレンタルショップに並んでいたのは、第6シリーズ。偶然その中に、性同一性障害(FTM)当事者である鶴本直(演じていたのは上戸彩さん)が描かれていました。

私が心動かされた名場面はいくつもあって書き切れませんが、この場面だけは忘れられません。私の記憶のなかの言葉なので正確ではないかもしれませんが。教室で男子と大げんかをした鶴本直に対し、校長先生にもっと女らしくできないのかと詰め寄られたとき、鶴本直が発した言葉です。

― 女は女らしくって決めつけられたくありません。男は男らしくってどういうことなんだか、それも分かりません。なぜ白と黒の2つに分けなければいけないんですか。グレーがあってもいいと思う。じゃなければ私たちアジアの黄色(おうしょく)は人間ではなくなるわけだし…。 ―

それまで田舎育ちで無知な私は、世の中には男と女のふたつの性別しかないと信じて疑っていませんでした。この言葉を聞いて、私は初めて、体はどう見ても「女」なのに「女」として生きられない自分を認めることができました。ああ、こんな自分でも生きていていいのかもしれない、とすら思いました。

人間はみな男と女のどちらかに振り分けられるという考えのことは、「性別二元論」と言われているそうです。
鶴本直の言葉は、性別二元論が「ふつう」じゃない、ということを私に気づかせてくれました。そして、自分自身が無自覚のうちに囚われていた性別二元論から抜け出していくための最初のきっかけを与えてくれたのです。

その後も私は、自分のなかにある「男(らしさ)」だとか「女(らしさ)」だとかからなかなか抜け出すことが出来ず、それが自分自身を苦しめてしまうこともたくさんありました。過剰に男らしさを強調したり、女として生まれたことを自らの汚点として蔑んだり…。

でも、今は違います。
様々な相手へのカミングアウトやホルモン治療、乳房切除の手術などを経て、次第に、性別二元論や性別それ自体に囚われることがなくなっていきました。
今も、私は自分が女に生まれてよかったとは思えません。自分の身体に残る女性的な部分に対する違和感や嫌悪感も、全くなくなったわけではありません。
それでも、様々な艱難辛苦を経てある今の人生に、ときには差別や偏見などに気落ちすることもある日々の生活に、それなりの満足と幸せを感じられています。 性別うんぬんを超えた自分らしさ、のようなものを獲得してこれた実感があるからかもしれません。

今も性別違和感に深く苦しんでいる仲間たちに、性別移行に難航して生きる希望を見失いそうになっている仲間たちに、今はエールを送りたいと思います。
生まれてきた性別を替えられなくとも、身体に生まれてきたときの性別の特徴が残っていたとしても、それは、あなたが自分らしく生きることを妨げません。幸せに生きていくために必要な治療や試行錯誤の先に、未来がありました。自分自身を大切にしながら、お互いに一歩ずつ進んでいきましょう。


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