“その辺にいる人”になればいい
written by すばる
「自分なんかが望む性別で生きられるわけない」
多くの人がそう思ってしまうのではないでしょうか。
中でも特に
- 背が高すぎる/低すぎる
- 声が高すぎる/低すぎる
- 骨格が太すぎる/細すぎる
この辺りは医学的な手を施しても如何ともし難い部分があり、自覚がある人はかなり気にしてしまう部分だと思います。
かくいう私もその例外ではありません。
背こそ女性にもいる範囲で収まりましたが、小学生のうちにいち早く声変わりをしました。電話口で父親に間違われた時、それはそれはショックを受けたものです。
骨格的にも肩幅が頭が3つ乗るほどあり、女性用Lを着ても袖が足りません。
周りにいる生来の女性を見ては羨ましくなり、自分よりも女性的素養を備えた男性にも「せめてああであれば」と、叶わない夢想をしたものです。
今の時代美人な当事者がテレビに出たりもするし、ネットで調べればいくらでも誰もが憧れるような実例を山程見ることができます。
それを見て私が抱く感想は「ここまで美人になれるんなら世間にも女性として見てもらえるんだろうけど、自分には無理だろうなぁ」という希望なのか絶望なのかよくわからないものでした。
そんな私も女性としての社会的性を得て11年になります。割とできるもんです。
実際に女性という立場で女性と接しているとわかりますが、実のところ
- 背が高い
- 骨格がしっかりしている
の2点については、女性にとっては憧れのポイントになっています。これらが揃っていることは、いわゆるモデル体型を意味します。実際にトップモデルという存在は身長があることは当然として、肩幅もある方が着こなしがきれいに見えると言われます。
あなたが誰かからこう言われた時、「やっぱり元が男だよね」という皮肉として言われているのではありません。純粋に褒められています。頬の肉が薄いのも、お尻がシュッとしているのも、筋肉質な脚も、女性からすると本当に美点として捉えられています。
男性の体を持ってしまった人は女性的特徴を求めるあまりに、当の女性がいらないと思っているものまで欲しがってしまいます。
ここで疑問ですが、
あなたの“心の性”はトランス女性(あるいはMtF)ですか? 女性ですか?
女性としての視点で見た時、
あなたのその体の特徴は忌むべきものですか? 誇るべきものですか?
私は今まで私を褒めてくれた人たちの言葉を皮肉やお世辞だなどと疑いません。自分のスタイルを誇っています。
ぶっちゃけ声も思うほど性別特定材料になりません。
ある程度までは努力なり手術なりが要ることにもなるでしょうが、誰が聞いても女性の声になる必要はありません。「まあこんな声の女性もいるか」くらいにできれば十全です。
そもそも自分の性別に違和感を持たないシスジェンダーでも、自分の顔や体格には少なからず不満を抱えています。
そんな人達も羨む、テレビに出るようなパーフェクトな人間になる必要はありません。
シスジェンダーも満足行かない自分でリアルライフしているので、「完璧な男性/女性にならなきゃ外に出られない」なんてハードルを上げまくる必要はありません。
“コンプレックスのあるその辺の人” として世に出てしまえばいいのです。
コンプレックスにはここまでなら許されるという範囲はありません。
それぞれがグラデーションです。
ほとんど誰もが自分の嫌な部分と向き合いながら生きています。 あなたが持つその身体特徴も「コンプレックスなんだよね」話せることが、その辺にいるリアルな人間になれるポイントです。
⊂∞⊃ まとめ ⊂∞⊃
▽ その辺にいる人になれれば十全です
▽ 割となんとかなります